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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区南千住6-67 (天王公園) 

  米倉屋敷跡
 宝永4年(1707)、当時下野国(栃木県)皆川藩主であった米倉計昌照が、この地に下屋敷を拝領した。享保16年(1732)、屋敷の北側部分が相対替えで、屋代氏の所有に移り、残りの南側部分も、翌享保17年(1733)に上知(幕府が屋敷地を収公すること)となり、米倉氏はわずか20数年で、この地を去ることになる。
 北側部分は、さらに土屋氏・池田氏・曲淵氏の屋敷地となるが、現在でも、この天王公園のあたりは、土地の人々から「米倉屋敷」とも呼ばれ、親しまれている。
 荒川区教育委員会
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