東京都荒川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 荒川区南千住6-63 荒川区登録有形文化財(歴史資料) 橋本左内の墓旧套堂 この套堂は、昭和8年(1933)に橋本左内の墓(区登録有形文化財〔歴史資料〕)を保護する(納める、覆う)ために造られた建造物です。大正12年(1923)の関東大震災後に耐震性と不燃性の観点から注目されるようになった鉄筋コンクリート造で、規模は方一間(柱間1.94メートル)、宝形造の屋根、軒裏および柱・梁等の軸部には、表面に人造擬石洗出・研出仕上げを施しており、伝統的な建築の意匠と近代的工法との折衷を図った近代仏教建築といえます。もとは回向院(南千住5丁目)境内入口にありましたが、平成18年(2006)、套堂のみ区に寄贈され、平成21年(2009)、ここに復元されました。 当時、套堂の施主となったのは、橋本左内を追慕し、遺徳を広く発揚することを目的として、明治35年(1902)に設立された景岳会で、事務所は福井県出身の学生を育英するため設けられた輔仁会内に置かれました。設計には、同会会員で建築家でもあった原田正があたり、歴史学者黒板勝美(古社寺保存会委員・東京帝国大学教授)に助言を求め、日本建築史を体系化した建築家伊東忠太(東京帝国大学教授・史蹟名勝天然記念物保存協会評議員)の監修を受けています。また、正面に据え付けられた陶製の橋本家の家紋のデザインは、福井県出身で、日本の陶彫のさきがけとして知られる沼田一雅(東京美術学校教授)によるものです。当代一流の学者の知識・技術・感性が結集した近代の貴重な文化財といえます。 平成21年(2009)3月26日 荒川区教育委員会 橋本左内の墓及び橋本左内の墓旧套堂関係略年表 ・天保5年(1834)3月 橋本左内、福井藩奥外科医の子として生まれる。 ・嘉永元年(1848)6月 15歳の時、「啓発録」を著す。 ・安政元年(1854)3月 江戸に遊学。坪井信良、杉田成卿に蘭学を学ぶ。遊学中、藤田東湖(水戸藩)や西郷隆盛(薩摩藩)ら他藩士と交友を結ぶ。 ・安政4年(1857) 福井藩主松平慶永(春嶽)の側近として藩政改革を行う。また、松平慶永の意を受け、一橋慶喜の将軍擁立のため活動を始め、他藩士や幕閣の間を奔走する。 ・安政5年(1858) 彦根藩主井伊直弼、大老に就任し一橋派を弾圧。松平慶永は、隠居・閉門となり、橋本左内は、福井藩邸内で謹慎。数度の尋問を受ける。 ・安政6年(1859)10月 橋本左内、一藩士が将軍継嗣に関わったことが問題とされ、小伝馬町の牢屋敷において斬刑となり、小塚原回向院へ埋葬される。 ・文久2年(1862)11月 安政の大獄の関係者の大赦。 ・文久3年(1863)5月 橋本左内の墓が国許福井の橋本家菩提寺善慶寺に改葬される。 ・明治18年(1885)11月 景岳橋本君碑が回向院に落成。 ・明治26年(1893)11月 橋本左内の墓が回向院に移転され、再建される。 ・明治35年(1902)10月 景岳会が設立される。 ・大正14年(1925)6月 回向院の橋本左内の墓及び景岳橋本君碑を含む小塚原志士墓所が東京府仮指定史跡となる。 ・昭和5年(1930)12月 景岳会が橋本左内の墓の破損防止策を遣欧し、套堂の建設を決定。 ・昭和8年(1933)6月 套堂の落成式が行われる。 ・昭和58年(1983)6月 橋本左内の墓及び小塚原の刑場跡を区記念物(史跡)に登録。 ・平成17年(2005)12月 回向院の境内整備に伴い、橋本左内の墓が同院史跡エリアに移されることになる。併せて保存処理が施される。 ・平成18年(2006)1月 回向院より套堂が区に寄贈され、解体のうえ、荒川ふるさと文化館に保管される。 小塚原の刑場跡を区記念物(史跡)に指定。 ・平成20年(2008)2月 橋本左内の墓及び套堂、それぞれ単体で区登録有形文化財(歴史資料)に変更。 ・平成21年(2009)3月 套堂が荒川ふるさと文化館に復元され、落成式を行う。 橋本左内の墓旧套堂復元と福井県との交流を記念して 「橋本左内の墓旧套堂」(区登録有形文化財〔歴史資料〕)は、もと回向院(南千住5丁目)の境内入口にあったものです。平成18年(2006)、同院の境内整備の際、荒川区に寄贈されることになり、平成21年(2009)、ここに復元・保存されました。 南千住には、この套堂場狩りではなく、福井県ゆかりの史跡や幕末の史跡が多く所在しています。回向院境内北側に新たに設けられた史跡エリアには、福井藩士橋本左内の墓、小浜藩士梅田雲浜の墓があり、また、回向院内には、小浜藩医杉田玄白らの「ターヘルアナトミア」の翻訳と「解体新書」の刊行を記念してつくられた観臓記念碑があります。これらは、地域の人びとにとって身近なものであり、福井県にとっても重要な史跡となっています。 多くの方々のご協力を得て、この地に復元が叶った今、「橋本左内の墓旧套堂」は地域の歴史を伝えるモニュメントとして、また荒川区と福井県との交流の場として、新たなスタートを切ることになりました。 平成21年(2009)3月26日 荒川区 PR |
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