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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区東日暮里5 ~ 台東区谷中

 善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は未詳。
 明治15年(1882)ころ、日本鉄道会社の東北線(現JR)が通じて分断され、その形状が、失われてしまった。伊藤晴雨が描いた「根岸八景」の「芋坂の晩鐘」は、天王寺五重塔を望む芋坂の、のどかなたたずまいをよくあらわしている。

 荒川区教育委員会



   いも坂みち

自然薯(山芋)がこの付近で取れたことに因むこの坂みちは、彰義隊士の退口であったとも伝えられている。慶應4年(1868)5月15日、上野の戦争で敗れた彰義隊士数百名は、かねて定めていた芋坂の退却路に到達、官軍の追跡を逃れる為、台上から北方遥かな日光を目指し落ちて行くことに衆議一決。手負い数名を乞われる儘に絶命させ、芋坂を駆け下りたと云う。
その折数名が当店に侵入、刀、槍を縁下に投げ込み、野良着に変装して行った。その彰義隊士の遺したものは当店舗内に展示してある。

 羽二重団子 
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