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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区西日暮里3-4-8

 信濃国(長野県)上諏訪社と同じ建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る。当社の縁起によると、元久2年(1205)、豊島左衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)の造営と伝える。江戸時代、三代将軍徳川家光に社領五石を安堵され、日暮里・谷中の総鎮守として広く信仰をあつめた。



 旧暦7月27日の祭礼では、囃屋台・山車をひきまわし神輿渡御が行われた。神田芋洗橋までかつぎ、そこから船で浅草・隅田川を経て、荒木田の郷で御神酒をそなえて帰座したと伝えている。

拝殿

 拝殿の脇には元禄12年(1699)銘・元禄14年(1701)銘の燈籠型の庚申塔が並んで建てられている。

 荒川区教育委員会

神楽殿

    「諏方神社」御社名に就いて
 当社は、信州・諏訪大社の御分社ですが、御社名は「諏方神社」と申し上げます。この「諏方」は古来の表記であり、御社名や古文書等に使用例を見ることができます。 
 抑も信州・諏訪地方は往古、「洲羽」「須波」などと表されていましたが、和銅6年(713)の”畿内七道諸国郡郷の名は好き字を著けよ”(続日本紀)の制以降「諏訪」となったようです。しかし中世から近世にかけて「諏方」の表記も併せて多く用いられるようになり、その傾向は国の記録や公の文書にも及び、大社に納められた奉納の品にも見られました。こうした中、天保5年(1834)、諏訪・高島藩に於いては、「諏訪」と書く旨指令が出されるという動きもありましたが、近年に至り全国的に地名、人名などに於て「諏訪」が通常の表記となり、御社名などに残っていた「諏方」は使われなくなっていったようです(現在、御社名としては、全国の御分社8千有余社の内数社にみられます)。
 当社におきましては、所蔵する元禄時代の軸(細井廣澤書)に「諏方大明神」とあることに拠りまして「諏方神社」を御社名としています。


御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神

   諏方大明神略縁起
源義朝家臣豊島兵四郎、義朝落命後の永暦元年(1160)生国信州下諏訪に蟄居、諏訪明神を信心し、再び源氏に忠勤せんと願うも病に相果てり。子息平六郎困窮甚だしき余り、家の再興を諏訪明神に祈誓せるに霊夢あり。現れたる貴人の宣託に従いて湖水に向かうに、水中より光の発するを見、潜りてその元を尋ねるに御神体と思しき物を得。平六郎之を祀りて朝夕信心せるに家は漸く栄え、治承4年(1180)の頼朝挙兵に於ては軍功数度に及び、此れに仍って元久2年(1205)、武蔵国中豊島郡を領地に賜る。是より豊島左衛門経泰と名告り、信州より遷奉る御神体を東の方、山麓に奉祀せり。扠、嫡子左近太郎の代に至りて家は没落せるも社は其の儘に在りしが、或る時、盗賊の押し入りたる事有り。御神体を持ち手逃げ去りしが、途上、俄かに立ち竦みたるに、土民此れを取り押さえ、御神体を社へ遷し奉りき。土民等此処を以て其の神徳を敬い、産土神と仰ぎ奉れり。その後時を経、山上開削されし折、麓より当地に遷し奉りき、と伝えたり。  


三宝荒神社


三峰神社
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