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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区西日暮里3-4-8 (諏方神社 神楽殿)

 この人形はだしにしつらえ、御輿とともに巡行したもので、平安時代末期武勇に猛けた「源為朝」鎮西八郎為朝公を擬してある。製作年は安政(1854~1860)とあるが作者は現在不詳。
 当時の日暮里諏方様の山車は、江戸の中でも有名であり且つ格式の高いものであった。特に日清戦勝の祝賀会が皇居前広場で行われた時、東京中の山車が勢揃いした。その勢揃いの順位が 3番目、道中鳶頭連中が木遣りと芸者の手古舞を、2頭の牛車が引いて参列し妍を競ったといわれる。
 明治の終わり頃までは本祭りのたびに牛と子供連中に曳かせたが、その後土地の発展に従い電線などにより不可能となり、氏子有志が組織した「祖崇会」が維持管理し人形だけ飾った。戦後からそれが自然と消滅して、人形は倉庫の中に保管したがその痛みが激しく、このままでは朽ち惜しいということで、金子正男・工藤三郎両氏相計い昔日の姿に復元したものである。
  平成元年(1989)10月27日 平塚春造記
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