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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区西尾久3-7-3

     八幡神社と上尾久村村絵図
 所蔵の上尾久村村絵図(荒川区指定文化財)は神社を中心とする上尾久村の江戸時代の様子を物語る。図中には、農業用水の流路、7名の領主名と各領主付農民、村内の社寺などが記され、隣村の田端村や中里村との間で取り決められた用水に関する記述が三か所ある。制作年代は記されていないが、嘉永元年(1848)以後のものであると推定される。このほか同社には、享保14年(1729)銘の手水鉢や南北朝期の至徳2年(1385)銘をはじめとする棟礼等がある。同社の創建年代は不詳だが、棟礼の年号等から中世には当地の鎮守として勧請されていたと考えられている。
  荒川区教育委員会





       八幡神社と八幡堀
 八幡神社の創建は不詳であるが、鎌倉時代末期の正和元年(1312)に、尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡ると考えられる。また、神社に残る棟札から、至徳2年(1385)には社殿が再建されたことこが確認できる。江戸時代に幕府が編纂した地誌『新編武蔵風土記稿』(文政11年〔1828〕)には、上・下尾久、船方三村の鎮守と記されている。
 八幡堀は、王子・上中里・田端・日暮里と流れる用水が八幡神社をとり囲んでいたもので、酒井新三郎抱屋敷と亀太郎屋敷との間(現在の西尾久3-4周辺)を経て、荒川(現在の墨田川)に注いでいた。川を往復する舟が八幡堀まで進み、交易で賑わい、神社の西側では下肥の積みおろしも行っていたという。
  荒川区教育委員会 

厳島神社
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