東京都荒川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 荒川区南千住2-1 三ノ輪橋跡(三の輪橋跡)(音無川) 三ノ輪橋は、石神井川の支流として王子から分流した音無川が、現在の日光街道と交差するところに架けられた橋である。橋の長さは五間四尺(約10メートル)、幅三間(約6メートル)であったという。 音無川は、日暮里駅前を経て、台東区(根岸)との区境を通り、常磐線ガード手前を右折、その左角は私立池谷小学校(明治36年〔1903〕廃校)跡、そして現日光街道を横ぎり、日本堤の北側を流れて山谷堀にいたるものであった。 明治41年(1908)、三ノ輪が属する16番分水組合が廃止され、音無川は農業用水としての役目を終えた。現在は暗渠となり、橋の名前は、都電荒川線の停留所として残されている。 荒川区教育委員会 台東区教育委員会 PR |
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|