東京都荒川区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 荒川区南千住1-59 百観音 円通寺 延暦10年(791)、坂上田村麻呂が開創したと伝える。また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった四十八の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、この辺りを小塚原とよぶようになったという。 江戸時代、下谷の広徳寺・入谷の鬼子母神とともに「下谷の三寺」とよばれた。秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれたが、観音堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊した。 境内には、石造七重塔、彰義隊士の墓、永仁4年(1296)銘を始めとする板碑4基(区指定文化財)などがある。 荒川区教育委員会 円通寺境内には『彰義隊士の墓』、『旧上野の黒門』、『板碑』、『鷹見の松』、『四十八首塚』、『七重塔』があります。 PR |
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永山
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