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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区南千住3-28-58 (石浜神社)

  真先稲荷と田楽茶屋
 真先(崎)稲荷は、天文年間(1532~1554)、石浜城主千葉守胤によって祀られたと伝える。もと隅田川沿岸にあり、その門前は景勝地として知られていた。また、奥宮の狐穴から出現する「お出狐」は、大願の三囲稲荷の狐と並んで有名であったという。
 江戸中期から参詣する人が多くなり、宝暦7年(1757)ころには、吉原豆腐で作った田楽を売る甲子屋・川口屋などの茶屋がたち並んで、おおいに繁昌した。吉原の遊客もよく当地を訪れ、「田楽で帰るがほんの信者なり」など、当時の川柳に真先稲荷・田楽・吉原を取り合わせた句が詠まれている。
 荒川区教育委員会


所在地 荒川区南千住3-28-58 (石浜神社)

  麁香神社関係資料あらかじんじゃ
 麁香神社は石浜神社の摂社で、本殿西の中庭内にある。祭神は手置帆負命と彦狭知命。この二神は工匠守護の祖神で、江戸時代には建築関係者の信仰を広く集めた。ここに立つ天保5年(1834)銘の麁香神社建立の碑、安政4年(1857)銘の日本大工祖神の碑は、幕府御用職大工方・屋根方等の工匠が建てたものである。このほか、安永3年(1774)銘の由来を記した板、安政(1854~1860)の銘の扁額がある。


所在地 荒川区南千住7-23

  砂尾堤と砂尾長者
 南千住7丁目20番地付近から現在の隅田川に沿って台東区今戸に向かう道は、土手になっていて砂尾堤と呼ばれた。中性の石浜に砂尾長者とよばれる土豪が住み、この地を領していたことに因むという。石浜の地は古代から、武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県東部)と下総国(千葉県北部・茨城県南部・東京都東部)をつなぐ交通の要地であり、砂尾長者は、15世紀半ば千葉氏が内紛により下総国を逃れ石浜に入った後、家臣としてこの地に住んだといわれる。台東区橋場にある砂尾不動院の開基とも、中興ともいわれる人物である。
 この一帯は昔から広範囲にわたりしばしば水害に見舞われた。汐入堤とも呼ばれたこの堤近くには昭和初期まで、砂尾・堤根という字が残っていた。
 荒川区教育委員会


                       明治20年代の砂尾堤 原図『荒川区史上』


所在地 荒川区南千住8 ~ 足立区

  千住汐入大橋(汐入の渡し跡)






 


所在地 荒川区南千住2-1-12 (浄閑寺)

  ひまわり地蔵尊
昭和57年(1982)12月11日建立開眼
創作者 倉田辰彦(群馬県出身)
発願主 山谷老友会
主旨 
 山谷には、労働に生き労働に老いて、ひとり淋しく人生を終る人が数多くいます。山谷老友会は、孤独の壁をこえて連帯し、はげましあい、またささえあってきましたが、死後の安心なしには、真の生活の安らぎがないところから、ひまわり地蔵尊の建立を思いたちました。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇労働者のシンボルといえます。
 この地蔵尊は、倉田辰彦氏をはじめ、多くの方々のご好意と浄財が寄せられて実現したものです。
 榮法山浄閑寺廿五世暢譽代


所在地 荒川区南千住2-1-12 (浄閑寺)

  永井荷風文学碑
今の世のわかき人々
われにな問ひそ今の世と
また来る時代の藝術を。
われは明治の兒ならずや。
その文化歴史となりて葬られし時
わが青春の夢もまた消えにけり。
團菊はしをれて櫻癡は散りにき。
一葉落ちて紅葉は枯れ
緑雨の聲も亦絶えたりき。
圓朝も去れり紫蝶も去れり。
わが感激の泉とくに枯れたり。
われは明治の兒なりけり。
或年大地俄にゆらめき
火は都を燬きぬ。
柳村先生既になく
鴎外漁史も亦姿をかくしぬ。
江戸文化の名残烟となりぬ。
明治の文化また灰となりぬ。
今の世のわかき人々
我にな語りそ今の世と
また来む時代の藝術を。
くもりし眼鏡ふくとても
われ今何をか見得べき。
われは明治の兒ならずや。
去りし明治の世の兒ならずや。
 「震災」
   「偏奇館吟草」より



明治・大正・昭和三代にわたり詩人・小説家・文明批評家として荷風永井壮吉が日本藝林に遺した業績は故人歿後益々光を加へその高風亦ようやく弘く世人の仰ぐところとなった 谷崎潤一郎を初めとする吾等後輩42人故人追慕の情に堪へず故人が生前「娼妓の墓亂れ倒れ」(故人の昭和12年〔1937〕6月22日の日記中の言葉)てゐるのを悦んで屢く杖を曳いたこの境内を選び故人ゆかりの品を埋めて荷風碑を建てた
 荷風死去4周年の命日
 昭和38年(1963)4月30日
   荷風碑建立委員会


所在地 荒川区南千住2-1-12 (浄閑寺)

  三遊亭歌笑塚 実篤書

古よりの言の葉に、山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。アアされどわれ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き落語家歌笑をはぐくみし故郷は南奥多摩絶景の地なり
 歌笑純情詩集より


所在地 荒川区南千住2-1-12 (浄閑寺)

  本庄兄弟首洗井戸
白井権八に返り討ちに遭った本庄兄弟の弟 助八も兄 助七の首を洗うところを無惨にも権八のために討ち果された。 二人の霊を慰めんと首塚が建てられている。


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