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東京都荒川区の歴史
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所在地 荒川区南千住7-23

  砂尾堤と砂尾長者
 南千住7丁目20番地付近から現在の隅田川に沿って台東区今戸に向かう道は、土手になっていて砂尾堤と呼ばれた。中性の石浜に砂尾長者とよばれる土豪が住み、この地を領していたことに因むという。石浜の地は古代から、武蔵国(東京都・埼玉県・神奈川県東部)と下総国(千葉県北部・茨城県南部・東京都東部)をつなぐ交通の要地であり、砂尾長者は、15世紀半ば千葉氏が内紛により下総国を逃れ石浜に入った後、家臣としてこの地に住んだといわれる。台東区橋場にある砂尾不動院の開基とも、中興ともいわれる人物である。
 この一帯は昔から広範囲にわたりしばしば水害に見舞われた。汐入堤とも呼ばれたこの堤近くには昭和初期まで、砂尾・堤根という字が残っていた。
 荒川区教育委員会


                       明治20年代の砂尾堤 原図『荒川区史上』
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